「ブルーサファイア」エレジー㉒

 カノン先生はしばらく沈黙していましたが、手を上げてホテルの男性スタッフを呼ぶと、レモンスカッシュを3つ注文しました。

 やがて、女性スタッフがレモンスカッシュを運んできました。男性スタッフも、女性スタッフも、カノン先生に対して礼儀正しく、すごく気を使っているようでした。

 カノン先生は、なぜか、少し沈んでいるような感じでした。悲し気な目をしていました。それに気づいたA先輩が、カノン先生に話しかけました。

 「すごく、いい眺めですね。ホテルに空中庭園みたいな空間があるなんて、僕はとても驚きました!」

 「……眺めも、とてもいいでしょう。私はこの空中庭園がとても好きなの。A君も、トラ君も気に入ってくれた?」

 私は答えました。

 「僕もこのようなところは初めてです。とてもウキウキしています」

 すると、A先輩が言いました。

 「こんなところにあるなんて、まるで”秘密の花園”みたいです」


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 「”秘密の花園”ですって? A君は”秘密の花園”という本を読んだことあるの?」

 「ええ。バーネット夫人の小説ですよね。”小公子”も読みました。小学生の時ですけど、とても感動しました」

 「そうなの! 私も小学生の時、両方とも夢中になって読んで、感動したわ」

 私は言いました。

 「偶然ですね。2人とも同じ小説を読み、同じように感動するなんて……」

 私はカノン先生の顔が少し明るくなったような気がしました。すると、A先輩が言いました。

 「話は変わりますが、広島のゲームセンター近くのホテルでも、僕とトラ君に向かって支配人の方がカノンさんのことを『あの方は特別会員ですから』と言っていました。カノンさんは、すごいですね」

 私はよく知っていますが、A先輩は人に対して、このようなお世辞を言う人ではないのです。けれども、カノン先生を元気づけようとしたのです。

 「すごい?……A君は、私のそういうところがすごいと思うの?」

 「……いえ、そういう訳ではありませんけど……僕達の周囲には、ホテルの特別会員の人なんていませんので……」

 「……私から見れば、A君も、そしてトラ君も、もっとすごいものを持っているわ」

 「僕とトラ君のすごいものですか?」

 「二人の言葉や態度から、それが私に伝わってくるの」

 「言葉や態度からですか?」

 カノン先生は、ニコリと笑って、小さな声でささやくように言いました。

 「人への……思いやりの心よ」

 私は思いました。確かにA先輩はすごく思いやりがあるのです。人の痛みなどを察して気遣いのできる人なのです。頭が聡明なのでそういうことが分かるのです。

 けれども、私はそれほどでもなかったのです。私は“ゴーイング・マイウェイ”という人間でしたから。でも、なぜか、カノン先生のことが不思議に包まれた感じで、気になるのです。

 そんなことを考えていると、カノン先生が、つぶやくように言いました。

 「本当に……大切なのは、人への思いやりだわ」

 それは、私達に対してというよりは、まるで自分に言い聞かせるような言い方でした。

 A先輩も私も沈黙しました。テラスの左方向には、遠く瀬戸内海が広がっていました。


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 私は、思い出しました。初めて広島のゲームセンターでカノン先生と出会った時の、カノン先生の数々の辛辣な言葉を。

 『見て分からない? そのゲーム機を描いているのよ。早く終わらせて、あっちへ行けよ。さっきから待っているんだよ』

 『というか、そこにいる君達の存在自体が、追想のイメージを劣化させるのだ……感性の問題なのよ、感性の……といっても君達には分からないか。とにかく早くどいて』

 私達に対して、このような言い方をした青シャツ女、美術教師として私の中学校に赴任してきたカノン先生、さらに『大切なのは、人への思いやりだわ』とつぶやく、今のカノンさん。

 不思議で神秘的なカノン先生を理解することは、単細胞の私には、容易ではありませんでした。

 ふと、中のラウンジを見ると、数人の男女のスタッフが出たり入ったりして、中のラウンジのテラス寄りのテーブルに料理が次から次に運ばれてきました。

 しばらくすると、1人の男性スタッフがやって来て、カノン先生に「あちらのテーブルに料理の用意ができました」と伝えました。

 「A君もトラ君も、今日は色々なことがあったから、お腹空いているでしょう。中のラウンジのテーブルに移りましょう」

 そう言うと、カノン先生は、立ち上がってラウンジの中に入って行きました。A先輩と私も、中に入りました。

 私は驚きました。テーブルには、中華料理のコースが並んでいたのです。それもすごく豪華な感じでした。A先輩と私は顔を見合わせました。

 来る途中の車中でのクイズで、A先輩が言ったように、カノン先生は、すでに数日前に私たちの好物を調べて、中華料理を予約していたのでしょう。(続く)






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プロフィール

Romy Rurikawa
あらゆる乗り物が好きなのでよく旅に出ますが、そこは日常の喧騒から逃れて自分をみつめ、淡いふれあいもある、やすらぎの空間なのです。